テレビは見てはいけない
- 作者: 苫米地英人
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2009/09/16
- メディア: 新書
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概要
この本の主題はいかにテレビ等のメディアや周囲のドリームキラー等の洗脳を受けずに自身のコンフォートゾーンを設定し,それに向かっていくかということである.また,苫米地氏自身の目的である「日本人の金融資本主義に関する洗脳を解く」ことも含まれている.
第1章は洗脳についてテレビ等のメディアを例に簡単に解説している.第2章ではその洗脳の知識をもとに,自己実現のためにコンフォートゾーンをずらす方法を説明している.第3章では人間の精神世界と支配者がそれに反する洗脳を施していることを説いている.
内容
第1章 テレビは見てはいけない
テレビが洗脳装置として働く原因には以下のものがある.
- 人間は視覚情報を圧倒的に利用
- 訓練された臨場感
- ホメオスタシス効果
- ストックホルム症候群
メディアの問題点として以下の点がある.
- スポンサーの批判はできない
- 「御用メディア」と化している
- 編集権が経営権から独立していない
- 新規参入できない
- たった数十人の構成作家
メディアから身を守るためには以下のことを心がける必要がある.
- 立体的な視点でニュースを見る(傾向,信条,ディレクター,損得関係者)
- インターネットは複数ソースを当たる
- 英語力
また,著者関連の宣伝として以下のものがあげられている.
キーホールTVは電力を負担する必要がない点でグーグルを凌駕する.これは,歴史上,技術は限界効用を迎えて新しい技術に移ってきたからである.自動車工業(GM)からソフトウェア産業(マイクロソフト)そしてインターネット(グーグル)である.それぞれに物理的生産・流通・電力というアキレス腱を抱えている.
サイゾーは著者が個人的に所有する「メディアと政治をウォッチする雑誌」である.サイゾーの意義を理解する古い広告主と著者の個人的なつながりをもつ広告主がスポンサーであるので圧力がかかることがない.
第2章 脱・奴隷の生き方
すべての行動を「have to」から「want to」にかえる.それがルー・タイス・プログラムの根幹である.その考え方の中心には「自己評価の肯定」があり,エフィカシー(自分の能力に対する自己評価)とセルフエスティーム(自分の地位やポジションに対する自己評価)に分類される.この二つの自己評価を高くするためにリアルな「未来の成長した自分」というセルフイメージを作る.そしてコンフォートゾーンをずらす.
コンフォートゾーンをずらすには以下の手順を踏む.
- 暫定的なゴールを一つ設定
- そのゴールを満たした未来が必ず来ることをリアルに想像(自分はそういう人間になることにきまっている)
- そのために現在の自分がどうあるべきか徹底的に吟味
暫定的なゴールを目指すことを繰り返すことで,いずれ本当のゴールが見える.
暫定的なゴールをめざすうちにコンフォートゾーンが移動し,脳のゆらぎが生まれ,スコトーマが外れる.するとたまに「あっ,これだ!」というものが見えてくる.それは見えた瞬間に「本物だ」と確信できるはずです.
到底達成できそうにないようなことをゴールにすべきである.達成できそうなゴールは現状にとどまっているからである.人間は自分にとって重要なものしか見えないようになっている.すなわち,コンフォートゾーンの外にあるものは見えない.コンフォートゾーンをずらすことでそのスコトーマが見えるようになる.
やりたいことを自由にやることで,自然とコンフォートゾーンが上がり,スコトーマが外れる.自分の知りたい知識が何だったかわかり,その欲求にしたがってどんどん新しい知識を吸収する.すなわち,知識を吸収することもホメオスタシスの一つである.
また,コンフォートゾーンから外れるとIQが下がる.これは自律神経が交感神経優位の緊張状態になるからである.すなわち,原始的な脳幹が優位となっている.これにより自己防衛的あるいは攻撃的になり,客観的にIQが下がって見える.怒る,悲しい気分になると行った時もコンフォートゾーンから外れている.
現状に満足している人は何らかの価値観を植え付けられ,洗脳された状態である.そしてその裏には失うことへの恐怖感がある.恐怖感を植え付ける,ステレオタイプな価値観を押し付ける人度ドリームキラーという.
マナー,たとえば儒教的思想は支配の論理である.何かしら他人に「こうしたほうがいい」と言われたら,自分のしたいことかどうかを吟味すべきだ.知らず知らずに奴隷状態にされる危険性がある.また,一度奴隷状態に慣れるとそれがコンフォートゾーンとなってしまう.コンフォートゾーンは自分で選ぶことで,自分の人生が少しずつ自分のものになる.
ほしいと思っているものが,本当にほしいものかもう一度考えるべきである.それは他人に洗脳された「have to」っである可能性がある.日本で飢えることはまずない.まずは自分のしたい「want to」をやるべきではないか.
「やりたいことをやっていては経済的に成り立たない」との考えが頭の隅に少しでも生じたら,「そう思う自分は洗脳されている」とすぐに認識したほうがいい.
「やりたいことをやっていても絶対に生きていける」
第3章 日本人はなぜお金にだまされやすいのか
人間が臨場感を感じるための要素は以下の3点である.
- プレゼンス感:現実にそこに存在している感覚
- 知的整合性:自分の知っている物理法則との整合性
- 操作参加制:自分の働きかけが反映される双方向性
この臨場感が高まると,脳にとっては物理的な存在は関係なくなる.すなわち,人間は物理的な存在のみならず,情報的な存在にも臨場感を感じられる.特にアスペルガーの人は自分の内部が外部世界より豊かでその臨場感を楽しめる傾向がある.
人間はこのように物理的な臨場感のみならず,精神世界でも臨場感を共有できる.つまり
「自分のためではなく他人のために尽くす」ことが,人間の本性
なのである.その考えを嫌うのが支配者である.したがって,競争,格差,差別を推奨し,他人を蹴落とすのが正しいという価値観を植え付ける.空気を読めというのも差別の一種である.イギリス・アメリカの支配層教育も差別を助長している.
アメリカは「お金がすべて」の国である.それこそがアメリカがフェアであるゆえんである.それに対し,日本は本音と建前である.ただし,兌換紙幣ではなくなった金融資本主義は詐欺以外の何物でもない.お金に絶対的な価値があるというのは洗脳だったのである.真に価値のある投資は教育である.
感想
たとえばコーヒーと紅茶では,どちらが好きなのか.そんな些細なことですら,他人の判断基準に影響されています.
「20歳のときに知っておきたかったこと」や「夢をかなえる『打ち出の小槌』」でも指摘されていたことだが,自分の価値観は周りの期待,常識等に縛られている.これらをいかに見破り,自身のコンフォートゾーンを設定できるかがカギであると思った.