この国のかたち 四

この国のかたち 四 (文春文庫)

この国のかたち 四 (文春文庫)

概要

近代の武士の様子や,戦争に突入していく狂気を冷静に分析している.

内容

73 馬

日本の馬利用の歴史や騎兵の集団運用に関する話.義経は日本で初めて騎兵を集団運用した.チンギス・ハーンも同様.

74 室町の世

日本文化の源流は室町にある(小笠原流).足利義教(くじ引きで将軍になった)と赤松満祐の騒動.

75 徳

石川啄木と佐藤北江の面接談.正岡子規陸羯南の関係.明治人の徳について.

76 士

江戸時代の武士はさほど学問をしなかったという点では申維翰の言う通り「兵農工商」.しかし,士の気分を持つように教育されていた.「士は窮しても義を失はず」「士にして居を懐ふは,以て士と為すに足らず」

77 わだつみ

日本の海人の話.海部や安曇という苗字は「あま」から来た.漁業が商業化したのは秀吉の朝鮮の陣の頃.大阪湾の佐野の漁師を対馬に連れて行った.佃から佃島に写った.テグスは荷物を結ぶ透明な紐だった.

78 庭

平安時代中期までの庭園は大和絵風だった.室町時代に抽象的な美しさを得た.

79 松

松は稲作とともに増えた.これはたい肥や燃料のための下草,落ち葉を山から綺麗に取ってくるため,土が痩せるためである.古来より松は人格化,神格化されてきた.

80 招魂

大村益次郎が作った招魂社の話.私死の武士たちを公死にすることで,新国家を公とした.

81 別国

憲法に但し書きとして存在した統帥権を利用することで,三権を超越するという解釈をおこない,軍部が日本を占領した.「統帥綱領」「統帥参考」

82 統帥権(一)

アヘン戦争が幕府を震撼させた.これが明治維新の遠因ともいえる.

83 統帥権(二)

幕末の統帥権は曖昧であった.将軍も長州征伐に代理主義をとった.大阪城にいた徳川慶喜鳥羽・伏見の戦いを傍観したに過ぎず,薩摩・長州も家臣によって藩軍が動かされた.

84 統帥権(三)

一君万民思想が共有され,藩主・将軍への不忠という矛盾を解決した.新政府は兵を持たなかった.天皇統帥権はなく,統帥の乱れが西南戦争を引き起こした.

幼少の天皇明治天皇)を擁する新政府は兵をもたなかった.世界史上,軍隊をもたない革命軍は,他に例がない.

85 統帥権(四)

「軍人に賜はりたる勅諭」により,天皇統帥権の歴史的根拠を述べた.これが明治憲法の「ただしわが国の慣習として統帥権というものがある」という但し書きにつながった.帷幄上奏という特権の下,軍は自由となった.首相浜口雄幸が殺されてから昭和は滅亡に向かって転がり始めた.

86 うるし

うるしの歴史.

87 白石の父

江戸初期の武士像.

88 近代以前の自伝

キリスト教ではプロテスタントとともに自伝が増えた.自分で良心を測らなければならないからである.日本では上代から日記として自伝が存在した.

89 李朝明治維新

李氏朝鮮の誇りは儒教を信仰する文明国家であることだった.儒教は形式を重んじる.現実がどうであれ,秩序体系(礼)に基づく態度で接した.

90 長崎

唐通事の功績.西洋医学における長崎の功績.

91 船と想像力

江戸時代の船の規制,船の構造.黒船後,見よう見まねで作られた三隻の西洋式の船の話.

92 御坊主

坊主衆は自身が黒衣のような存在であることを示すために頭を剃った.坊主衆の文化の蓄積はかなりのものがあった.


日本人の二十世紀

明治時代に日本人が会得したリアリズムを日露戦争で失った.明治時代の戦い方は武士的なリアリズムを持つ合理主義であった.また,明治時代は軍も政府も手の内を見せた.


ノモンハンで小笠原道太郎中将は初めて自国の薄弱な軍事力について認識を持った.


日本の知識人の教養に軍事知識というものがないのが災いした.それにより軍事という具体性から内外を見ることができなかった.石油の時代になった時点で,専守防衛の国であると言うべきであった.


戦後の軍事を語れない風潮もまずい.

現実をきちっと認識しない平和論は,かえっておそろしいですね.

感想

日本が「統帥権」というテコで軍部により「占領」されていたという解釈は私にとって非常に斬新だった.また,司馬遼太郎氏は自身が戦場に行った当事者でありながら,非常に冷静に歴史を見ていると思った.


単純に軍事反対を唱えるのではなく,あくまで現実を具体的観察することが必要であることが分かった.