日本多神教の風土

日本多神教の風土 (PHP新書)

日本多神教の風土 (PHP新書)

概要

日本人はその温暖湿潤な気候風土の中で独自の宗教観をはぐくんできた.あらゆる自然に気配を感じ,神を見いだした.神は恵みも災いももたらすが,祀ることでプラスの効果を得られる.また,霊魂信仰により人間も神となることができた.この,神と人間の境のなさが甘さでもある.


仏教はそうした神の一つとして日本に伝来した.仏教もその寺を開くときには神を呼び,力を得た.次第に,神は仏が日本人を救済するために現れた権現であるという認識が広がった.

内容

第一章 風土に生まれる神

旧約聖書の神が唯一絶対の存在であるのに対し,日本の神は自然の中に存在する.これは気候風土の違い,すなわち,高温乾燥と温暖湿潤の違いである.前者は初めに神が存在したが,後者は天地が分かれた後に神が誕生している.これにより,周りの自然とともに神々が存在するという意識を持ちやすい.


また,仏教伝来と前後して陰陽道がつたわった.これは古代の科学として予知に用いられ,日常のタブー意識にまで浸透した.


神には恵みをもたらす面と災いをもたらす面の2面性が存在する.祀ることで自然災害を恐ろしい神も恵みをもたらすと考えられた.


また,日本の神には飛翔性と無限分割という発想がある.これは神がその土地に存在する気配あるいはエネルギーのような存在であるというイメージがあるからである.


第二章 霊魂信仰と神仏習合

日本人は元来霊魂を信仰している.また,人間の霊魂を神格化することも可能である.したがって,怨霊も祀ることでプラスの方向に作用すると考えれた.


浄土宗の広がりにつれ,善行をつむことがよいとされた.この影響で,より多くの神様を拝むことがよいという考えが広まった.一つの神,一つの原理にとらわれない日本人的楽観主義を育て,絶対否定のない,あいまいのなかで折り合いをつけるようになった.


仏教は仏像の伝来ともに,海外の神として日本人に受け入れられた.「物事が意のままになる」というふれこみで輸入されたため,現世利益的な仏教となったきらいがある.


また,土地の神の力を,仏の力で復活させることができた.


本地垂迹説の広がりに伴い,各地の神は仏が日本人を救済するために神として表れたとされ,権現で呼ばれるようになった.すなわち,自然に対する感謝の気持ちであった信仰が,神への願いと変容していった.


第三章 海と山の宗教が語るもの

死ぬとその霊魂は海や山に帰るという考え方が元来あった.各種霊場にも観音菩薩があるが,これは神として迎えられた.融合信仰が自然に実現した領域である.

第四章 日本人の自然観・宗教観

日本人のアニミズムという概念は自然の中で命を感じることに通じる.

人間もすべての存在もふくめた生態系への新たな認識にほかならない.

第五章 アジアの中の日本の神と仏

インドの神と日本の神を比較したとき,インドは人格神化されているのに対し日本は霊魂として広がっていった.


タイの仏像がきらびやかであるのに対し,日本のものは古色である.これは朽ちた木彫仏は先人が積み重ねてきた信仰の歴史への共感によるものである.霊木等を利用して作られたのも,神道的概念の働きである.

第六章 宗教のゆくえ・生死のゆくえ

徹底否定のない日本人が競争社会で他者を排除しようとすると,肯定も存在しないので差別意識が育ちやすい.


現代の日本は自然死がない.生きている実感がもてない.これが不安の原因となる.また,霊魂を信仰してきたことが空気を読まなければならない風潮を生みだしている.


病気になったとき,キリスト教とは神と対峙するが,日本人は因果律で受け止める傾向にある.

回復不可能な病気と向き合う.このとき,キリスト教徒が神と向き合うのにたいして,もし因果と向き合うとしたら,これほど絶望的なことはない.

神に与えられたこの心身を,神にかえすという思想を日本におきかえるなら,私は,生命の無限循環・円環運動の中に,たまたま生きた自分として,過去から現在,未来へとつらぬく,その宇宙的生命世界へ帰ってゆくのだと考える

感想

八百万の神を祀り,仏様を拝む.日本人の宗教的寛容性には疑問があったがこの本を読むことである程度すっきりした.基本的に自然に根ざした宗教観を持つため,あらゆるものに神が宿ることに疑問を感じることはないし,また仏もそうした神の一つとして輸入されたものであるという説明は自然である.


人間が神になる過程も霊魂信仰から説明できるし,陰陽道におけるタブーの精神が受け入れられるのもわかる.


また,そうした絶対のない思想や甘さが現代の日本を世界の中で孤立させているというのもなるほどと思った.